社会が自動運転車にあわせる
”誰の命を救うべきか...自動運転車が抱える「トロッコ問題」MITがウェブ上でアンケート開始”
この問題は倫理観ではなく、性能にあわせた交通ルールにすればいいと思う。自動運転の肝であるプログラム、これはGPSで走ることだけを意図したものではなく、簡単にいえば常に車載カメラで撮影したビジュアルで地図を作り続け、目の前の障害への対応をするプログラム等も搭載しています。
つまりセンサーやソフトウエアにおける障害認知と反応のレベルと、車内の人や物への荷重レベルに応じた道路速度制限を設定する道路交通法改定を含めた仕組みに取り組むことこそが、自動運転の早期導入と共に、その可能性を広げるのだと思います。例えばスーパーコンピューターによる処理能力であれば時速何キロまでが保証され、汎用コンピューターの処理能力であれば時速何キロまでが保証されるとか。
私たちが日頃から取り組んでいるARやMRの可能性は自動運転に繋がり続けているのを感じます。サービスが倫理観を作るのではなく、倫理観がサービスをコントロールし続けないととんでもない事が起きると思います。